ペットロス 〜また一緒に〜

愛犬との幸せな生活が幕を閉じ、押し寄せる絶望感や底のない喪失感を包み隠さずに綴ります。

また、一緒に

 

ここは最後のページになります。

1ヶ月半の短いブログなので、先頭の日付からご覧になって頂けたら幸いです。

 

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悲しい気持ちや正直な想いをここで文章にしてみました。

これによって自分の現状をしっかり把握することが出来ました。

それと同時に、自分が何をしたいか何処に向かいたいかも見えたと思います。

 

あの子のそばに。

また一緒に。

この願いは、残念ながら現世では叶いません。

だからといって向こう側の世界でそれが叶う保証はありません。

今まで誰も証明したことがないからね。

可能性を数値で表すなら「現世ではゼロだけど向こう側は未知数」となるでしょう。

未知数 = 少なくともゼロではないはず。

 

もう十分 喪に服したし、その間 冷静に考えて出した結論です。

可能性に賭けてみよう思う。

まずは猶予を3ヶ月と決めました。

年内のうちに、やり残したことを片付けます。

その後は修行僧の如く進めます。

 

また会えたらいいな。

また一緒にいられたらいいな。

さぁ、挑戦です。

 

 

おしまい

 

旅立つ前夜の出来事

 

後になって「旅立つ前夜」と分かった、翌朝に亡くなる前日の夜のことです。

ソファに座ったオレの腕の中に抱かれながら、こちらを見て話を聞いていました。

 

今でも何故そうしたのか分かりませんが、ゆっくり過去を振り返りながら思い出を語りました。

そしてお互い目を合わせながら、たくさんのありがとうを伝えることも出来ました。

わずか数時間後にその時が来るとも知らずに。

まるで映画の脚本のような、神様がくれた奇跡の時間だったと思っています。

 

「少ししたら行くから待ってろよ」

その夜、最後にあの子と交わした約束です。

 

ふとした風の匂い

 

季節の変わり目の空気感や、ふとした時に感じる風の匂い。

その瞬間、まるでタイムスリップしたかのように「あの頃」が蘇ります。

あの時の風景。

あの子の存在。

手に触れる感触。

ありとあらゆる感覚が、まるでそこにあると錯覚するほど蘇ってきます。

 

これはとてもつらくて、でも少しうれしい、今となってはかけがえのない無意識の記憶のような気がします。

 

五感の記憶。

それは忘れかけていた何気ない瞬間を引き出します。

記憶を呼び覚ます魔法のような、傷口を刺される魔物のような、諸刃の剣かもしれません。

 

たったひとりの家族

 

あの子は唯一の家族でした。

だから出来る限り大切にしたし、依存もしていたと思います。

 

最愛の者がこの腕の中で旅立つというのは計り知れない衝撃でした。

その瞬間、心の中なのか耳の中なのかは不明ですが大きな爆音が鳴り響いたのを覚えています。

「心が壊れたな」と思いました。

実際に一度も涙は出ていません。

 

心が崩れたことは自覚していますが、あの子への愛情は失いませんでした。

それだけ深く刻まれてるのだと思います。

今もあの頃と同じ愛情を感じるのが何よりの証拠。

当たり前だよね。

オレにとってもあの子にとっても、お互いたったひとりの家族だったから。

 

ニセモノのかさぶた

 

時間の経過とともに心の傷が「かさぶた」になり、やがて癒えると何かで読みました。

 

写真、風、景色。

これらが過去の記憶とリンクした瞬間、かさぶたなんてニセモノだと気付かされます。

仮にホンモノだとしても、剥がれるのなんて呆気ないものです。

そこにあるのは別れの日に感じた、あの表現しづらい気持ちと同じ種類の暗闇。

 

胸が痛いという言葉は単なる比喩だと思っていたけど、それがどんなものか思い知らされます。

生傷を刺すようなこの感覚に慣れるのはちょっと難しいかな。

 

動物と会話できる人

 

あの子が亡くなる2年前、動物と話せる人に会ったことがあります。

膝の上に座らせた状態で向かい合って座り、約30分のセッションを行いました。

TV等でもよく見かけるアレです。

 

霊能や超能力なのか偽物なのか、真偽のほどは定かではありません。

当時そんなことはどうでもよくて、楽しいイベントの1つぐらいの軽い気持ちでした。

 

その時、繰り返し出てきた言葉が印象に残っています。

「 一緒に 」

その方曰く、あの子が特に強く発していたメッセージだそうです。

確かに思い当たる節は多々あったし、実際に何をするにもいつも一緒だったから。

あの頃は目の前にいたので、よしよしいい子だっていう程度の感想だったのですが。

 

ウソかホントかは別にして、あの子が一番望んでいて、あの子にとって一番大事なことだったのは事実。

だからちょっとだけ信じてもいいかなと思ってます。

「 一緒に 」

今でも一番大切にしている言葉です。

 

1人と1匹の足跡

 

一緒に歩んだ16年。

どこを切り取ってもキラキラ輝いている瞬間が帯状に連なっているように感じます。

 

スタートは、お兄さんと子犬。

偶然が重なって迎えたと思っていた出会いも、今となっては必然だったように思えます。

 

やがて生活のリズムやルールが出来上がり、いろんな所に行って、いろんな事があって、最後まで一緒にいて。

 

迎える前から送った後まで全体を振り返えると、1人と1匹の足跡が絶え間なく続いている様子が見えるような気がします。

立ち止まったり、駆けてみたり、曲がってみたり、いつも仲良く並んでる足跡がね。

 

亡くされた方へ

 

ペットロス。

この言葉をタイトルの一部に付けました。

でも本当はとても嫌いな言葉です。

ペットではなく、大切な家族だから。

 

オレは今、自分がどれだけ暗闇にいるのかをある程度は分かるようになりました。

この言葉を使ったのは、まだ何も見えずに彷徨っている方々の目に止まればと思ったからです。

 

伝えたいのは、苦しいのは君だけじゃないよということ。

オレ自身も含めて、つらい想いをしてる人が他にもいるから。

誰からも理解されないかもしれないけど、忘れることは出来ないしその必要もないと思う。

つらいのはそれだけ愛した証だし、愛してくれた証でもあるんだよね。

だからこの苦しみをね、いつか会えるかもしれないその日まで大切に持ち続けてもいいのかなと思っています。

 

宝石のような記憶

 

食べることが好きで、家では手作り&出先では飲食系の店が目標地点でした。

車に乗るのが好きで、買い替えは毎回一緒に試乗&お気に召した車にしました。

一緒に寝るのが好きで、右側が定位置&腕まくらで寝入るのが日課でした。

 

まだまだたくさんあって書き出したらキリがない、あの子のお気に入り。

逆に大変だったり慌てたりした出来事も、それはもう盛りだくさん。

どちらの記憶も、心に残る大切な宝物です。

 

最近、あれはすべて幻だったのかなと頭をよぎる時があります。

そんな時は、たくさんの宝石のような記憶の中からひとつ取り出します。

そして目を閉じると、その場面が浮かぶだけではなく感覚や感触までもが蘇ってきます。

この時ばかりはとても穏やかで柔らかい気持ちになれるような気がしています。

 

よくある不思議な体験

 

愛犬・愛猫が亡くなった後、身近なところで不思議な現象があったと見聞きします。

それが本当の話なのか、飼い主の思い込みなのかは意見が分かれる所だと思います。

 

どんな形でもいいから何かを感じたい。 何か伝えてほしい。

そんな切なる願いが強過ぎて、起きた物事を無理矢理こじつけたんだろ?という前提でここから先を読んでください。

 

 

よくある怪しい話になってしまいますが、自分自身でも体験しています。

それは「偶然にしては出来過ぎ」の範囲を超えたものばかり。

もちろん、そばにいるかどうかなんて分かりません。

捉え方でどうにでも解釈できると誰もがそう言うだろうし、それが常識的で普通の反応でしょう。

ただ、「オレには分かる」といった類いの自信や確信かあるのも事実です。

 

もしもこれが本物なら、あの子からは見えてるのにコッチから見えないのはズルいなぁと思います。

 

一緒に出掛けた場所

 

日々の散歩、カフェ、公園、海、山、そして24回の旅行。

たくさんの場所へいつも一緒でした。

 

道をよく覚えて、自分で行きたい場所へ誘導していました。

それは出先や旅先でも同じで、一度行った場所は把握していたようです。

贔屓目に見ても、とても賢い子だったと思います。

 

ただ、今はそれら思い出の場所に行く事をためらってしまいます。

先日ふらっと一ヶ所だけ行ってみたら、自分でも驚くほど落ち込んだから。

まずは心の準備をして、近いうちに少しずつ回ろうかなと考えています。

 

最後に行く場所だけ決めてあります。

それはとても思い出深い大切な場所。

覚悟ができた時、出掛けてみようと思っています。

 

悲しみは愛情の残骸

 

悲しい、苦しい、会いたい、後悔、懺悔。

これらの感情に伴う痛みは、行き場をなくした愛情の裏返しのような気がします。

それはまるで、そこら中に散らばってしまった愛情の残骸。

少しでも歩き出すとすぐに踏んでしまうから、また悲しみが襲ってくるのかもしれません。

 

ひとつずつ消化して、時間とともに悲しみが癒える人。

ひとつずつ噛み締めて、時間とともに悲しみが増す人。

経過は人それぞれでしょうが、オレ自身はまだ後者の渦中にいるのかも。

どこを見てもどっちに向いても、そこかしこに様々な感情や思い出があり過ぎて身動きが取れないんだよね。

 

16年一緒にいたから

 

16年間、一緒に生きてきました。

それはとても長い年月だと思います。

本当に長くて、でも終わってしまえばあっという間だったのかもしれません。

 

きっと何気ない1日を過ごしたであろう5年前の今日、10年前の今日、15年前の今日に想いを馳せています。

当時は出来る限りの愛情を注ぎ、出来る限りの事をしたつもりです。

でももう一度やり直せたら、もっと違う形に出来るのではとも思います。

あの子はどのように感じ、どのように思っていたのだろう。

 

世間のニュースなどで平成◯◯年と聞いてもピンと来ないけど、あの子が◯才の時と考えるとすぐに分かります。

時間の軸がそこにあったことを実感させられる瞬間です。

 

天国はあるのかな

 

天国。 あの世。 虹の橋。

いろいろな呼び方がある、あちら側の世界。

 

自分の中では半信半疑で、あるかないかは五分五分かなと思っています。

だから、いつか会えるかどうかは半々。

でも行ってみないと分からない。

どうなんだろう。 会えるかなぁ。

 

もしかしたら何もない「無」かもしれない。

でも、何かがあるかもしれない。

だから自分の最期はゴールではなく、確かめに行くスタートだと思っています。

我ながら妙な考え方だなとは思うのですが。

 

もちろん、そこに僅かな希望を見出してることは認めます。

一縷の望みを託していることも。

いつかまた一緒にいられるかもしれない唯一の可能性だから。

 

心の穴を埋める方法

 

あの子がいなくなって、心の中にぽっかりと穴が開いているのが分かります。

それはとてつもなく大きくて、心の大半を占める空洞のようにも感じます。

 

これを埋める方法も分かっています。

 

それは次の子を迎えること。

実際に多くの方々が幸せな時間に戻ってるし、それを否定するつもりはありません。

ごく普通の選択だろうと思うし、何度か勧められもしました。

でもオレには出来ません。

違うことは分かってるけど裏切るような気がして。

あの子だけでいい。 そう思っています。

 

それにね、もしも喋れたとしたらきっと「やだ!」って言いそうなんだよね。